広島地方裁判所 昭和42年(行ウ)18号 判決 1970年5月07日
広島市白島九軒町一二番一二号
原告
小林光次
右訴訟代理人弁護士
内堀正治
広島市大手町四丁目一番七号
被告
広島東税務署長
綿重三郎
右指定代理人
検事
平山勝信
同
小川英長
法務事務官
小瀬稔
同
赤木誠一
大蔵事務官
高木茂
同
田原広
同
常本一三
同
広光喜久蔵
同
高橋竹夫
右当事者間の頭書事件につき当裁判所は次のとおり判決する。
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一、当事者双方の申立
原告訴訟代理人は、「被告が原告に対して昭和四〇年一一月一〇日付で、原告の納付すべき昭和三九年度分贈与税を金三、九三一、三八〇円と決定した処分を取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との半決を求め、被告指定代理人らは主文同旨の判決を求めた。
第二、請求の原因
一、被告は昭和四〇年一一月一〇日付をもつて、原告の納付すべき昭和三九年度分の贈与税を金三、九三一、三八〇円と決定し、その旨原告に通知して来た。そこで原告は同年一二月七日被告に対し異議申立てをなしたが、被告は昭和四一年二月一五日右申立を棄却し、同年三月四日その旨原告に通知したので、原告は更に同年四月二日広島国税局長に対し審査請求をしたところ、同局長は昭和四二年四月八日これを棄却し、同月一八日頃原告にその旨通知した。
二、しかしながら原告は贈与税を課される理由がないので本件申立に及ぶ。
第三、被告の答弁
請求原因第一項記載の事実はすべて認める。
原告は訴外有馬リウから昭和三九年七月一日別紙目録記載の物件(以下本件物件という)の贈与を受け、同月二七日、同月一日付売買を原因とする所有権移転登記を了した(登記原因は売買となつているが対価は支払われていない)。しかして贈与物件の贈与時における価額は合計金八、七〇二、三七一円となり、その贈与税額は金三、九三一、三八〇円となる。よつて本件処分に誤りはない。
仮に、原告が有馬リウから贈与を受けたのではなく有馬リウの相続人里見真造から贈与を受けたのであるとしても、原告が対価を支払わずに資産を取得したことに変りはないから本件処分は適法である。
第四、被告の主張に対する原告の答弁
原告が有馬リウ或は里見真造から本件物件の贈与を受けたとの点は否認する。その余の事実はすべて認める(本件物件の昭和三九年七月一日当時の価額が別紙目録記載のとおりであること及び贈与を受けたものとした場合には、贈与税額が被告主張のようになることも認める 。本件物件は昭和二五年頃原告が買受けてその所有権を取得したところ、原告の内妻であつた有馬リウが原告に無断で自己名義に登記してしまつたので、昭和三九年七月二七日に原告がその真実の登記名義を回復したものである。
第五、証拠
原告訴訟代理人は、甲第一号証の一ないし五、第二号証の一ないし六、第三号証の一ないし八、第四号証、第五号証の一、二、第六ないし九号証、第一〇号証の一、二、第一一ないし一八号証を提出し。証人井原勇、同井町正、同三村義人、同松浦一夫、同蜂谷道彦の各証言及び原告本人尋問の結果(第一、二回)を援用し、乙第一、二号証の各一、二、第三ないし六号証、第八、九号証、第一〇号証の一、二、三、第一一号証、第一二号証の一、第一三、一四号証、第一八号証の一、二、第一九号証の一ないし五、第二〇号証の一、二、四、第二一号証の一ないし二四、第二二号証の一ないし五の成立、乙第七号証及び第二〇号証の三の原本の存在並びに成立は認めるが、その余の乙各号証の成立は知らないと述べた。
被告指定代理人らは、乙第一、二号証の各一、二、第三ないし九号証、第一〇号証の一、二、三、第一一号証、第一二号証の一、二、第一三、一四、一五号証、第一六号証の一、二、第一七号証の一ないし四、第一八号証の一、二、第一九号証の一ないし五、第二〇号証の一ないし四、第二一号証の一ないし二四、第二二号証の一ないし一二を提出し、証人入江英彦、同福田宏、同柴田勝、同佐和節三、同田端正一の各証言を援用し、甲第一号証の一ないし五、第二号証の一ないし六、第三号証の一ないし八、第四号証、第一一ないし一四号証の成立は認めるがその余の甲各号証の成立はいずれも知らないと述べた。
理由
一、請求の原因第一項記載の事実、本件物件につき昭和三九年七月二七日、同月一日付売買を原因として有馬リウから原告に所有権移転登記がなされていること(但し、別紙目録記載(二)の土地は、公簿上一九〇坪で仮換地により一一七・四四坪に減歩されたものであること、同(一)の土地は広島市中島本町一〇五番地の二六三宅地二坪に対する仮換地であることが証拠上認められるから、右移転登記は土地に関しては右従前の土地につきなされたものと解すべきである。)及び右登記に当つて原告が対価を支払つていないことは当事者間に争いがない。
二、そこで本件物件は有馬リウの所有であつたのか、それとも原告の所有であつて右登記は原告が真実の登記名義を回復したに過ぎないものであるかについて検討する。
成立に争いのない甲第一一号証、乙第一号証の一、第二号証の一、二、第三、第八、第九、第一三号証、第一〇号証の一、二、三、第一八号証の一、二、第二一号証の一ないし四、第二二号証の五、原本の存在及び成立に争いのない乙第七号証、第二〇号証の三、原告本人尋問の結果により成立の認められる甲第五号証の一、右乙第二二号証の五と弁論の全趣旨とにより成立の認められる乙第二二号証の一〇、一一、一二、証人柴田勝、同佐和節三の各証言及び原告本人尋問の結果(第一、二回)を総合すれば、有馬リウは明治二〇年里見雲嶺の二女として出生し、大正一三年広島県議会議員有馬五作と婚姻したが、昭和三年夫と死別し、その後広島市尾道町で蟠龍園の屋号で旅館経営を始め、間もなく原告と内縁関係に入つたこと、右旅館業は終戦前廃業になつたが、同女は終戦後昭和二六年頃から別紙目録記載(三)の建物(以下単に(三)の建物という。)において白龍園の屋号のもとに旅館業を再開し、昭和三九年七月二六日死亡するに至るまでその経営にあたつて来たこと、同女は原告より一まわり年長である上に元来気性が強かつたため、原告との間もいわゆる女性上位の様相を呈し、営業面では名義はもとより実質的な経営の点でも同女が主導権を握つていたこと、昭和二五年一〇月三日別紙目録記載(二)の土地(以下単に(二)の土地という。)上に建築中の建物について原告名義で売買契約を締結したが、右建築中の建物は建築許可条件に違反する点があつたため、同女名義で改めて建築許可願を提出して建築許可を受け、これを完成して昭和二六年三月一〇日「有馬柳子」名義で所有権保存登記をなし、後に「有馬リウ」に変更登記したこと、(三)の建物は右建築中の建物が完成したものであること、同女は右建物について昭和二六年三月二六日広島信用組合のため抵当権を設定し、同月三〇日同組合から旅館設備資金として金五〇万円を借受けたが、右借受金のうち金四五五、四〇〇円は同日有馬リウが同組合に対して有する当座預金口座に組込まれたこと、(三)の建物代金として振出された小切手二通は、いずれも有馬リウの当座預金口座で決済されていること、昭和三一年二月二九日、別紙目録記載(一)の土地(以下単に(一)の土地という。)について、売主を広島市、買主を有馬リウとして代金を三九一、五一二円とする売買契約が締結されたこと、昭和二七年一〇月二九日、(二)の土地について、売主を宝勝院、買主を有馬リウとする売買契約が締結され、同年一一月五日有馬リウは右売買を原因とする所有権移転登記を了したこと、有馬リウは死亡当時安田信託銀行広島支店に対し同女名義で金五六〇万円位の預金を有し、また同支店から貸金庫の貸与を受けて貴金属類を保管していたほか、一一四銀行、広島信用金庫にも預金していたこと、同女は昭和三八年九月二日安田信託銀行に対し、本件物件をその指定する鑑定人の鑑定価格で売却し、その代金を原告を受益者とする貸付信託として配当金を同人に支払うことを委託する旨の遺言公正証書を作成していること、更に同女はその後原告死亡後は右貸付信託の元本及び配当金を慈善団体に寄附する旨の遺言書の作成を考えていたこと(ただし右遺言書が有効に作成されたかどうかは確認できない)、本件物件について有馬リウ死亡の翌日原告に所有権移転登記がなされたことが認められ、右認定に反する証人蜂谷道彦、同井原勇、同井町正、同三村義人の各証言及び原告本人尋問の結果(第一、二回)はたやすく措信し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
これらの事実を総合すれば、本件物件はいずれも有馬リウが買受けてその所有権を取得したものと認められ、原告がもともと本件物件の所有者である旨の原告本人尋問の結果(第一、二回)並びに甲第一五、一六号証の記載内容は措信できない。
もつとも、右認定にある如く(三)の建物を建築中買受けた際の買受名議人は原告であり、甲第七、第九号証によれば、右売買に関し売主徳永ハルミから原告に対し売買代金不払を理由として右建物返還を求める訴が提起され、原告が買主として応訴していることが認められ、また、甲第一号証の一ないし五、甲第二号証の一ないし六、甲第三号証の一ないし八、甲第四号証によれば、(三)の建物及び営業用の什器備品や家財道具につき原告が火災保険契約を締結していること、白龍園で使用するガスの需給契約及び水道修繕工事の依頼が原告名義でなされていることが認められるがこれらの事実は、原告と有馬リウが内縁の夫婦であつたことを考えると、必ずしも右建物の実質的買受人が有馬リウであつたことと矛盾するとはいえない。次に、前記甲第一一号証によれば、昭和三九年 一〇月二三日有馬リウの相続人里見真造、里見俊一郎、里見直子の三名と原告との間で作成された和解書には本件物件が原告の所有であつて有馬リウの相続財産に属さないことを認める旨の文言の存することが認められるけれども、右甲第一一号証、成立に争いのない乙第一四号証、証人田端正一の証言によつて成立が認められる乙第一五号証と右証言によれば、有馬リウの死後その遑産をめぐつて右相続人等と原告との間に紛争が生じ、右相続人等は本件物件はリウの遺産であると信じかつそれを主張していたが、既に原告名義に移されていることでもあり、結局紛争の早期解決のために譲歩し、前記安田信託銀行広島支店に対する預金約五六〇万円及び同店貸金庫にある貴金属類は遺産として右相続人等が相続し、その他の本件物件、白龍園の什器備品等一切は原告の所有とすることにして和解が成立したものであることが認められるから、前記和解書の文言を以つてリウの所有権を否定する資料とはなしがたい。その他この認定を左右するに足る証拠はない。
三、進んで、被告主張の贈与について判断するに、当事者間に争いのない、有馬リウから原告へ対する本件物件についての所有権移転登記の存在にもかかわらず、前記認定の事実関係から考えると、右移転登記の原因となる譲渡行為が有馬リウの意思にもとづいてなされたかどうかは疑いなしとしないのであるが、右譲渡行為は前記和解により結局有馬リウの相続人等によつて追認されたものと解されるから、原告は有馬から本件物件の所有権を譲受け取得したものというべく、右所有権取得に際し対価を支払つていないことは原告の認めるところであるから、被告がこれを贈与として課税したのは相当である。
しかして本件物件の右贈与時における価額が合計金八、七〇二、三七一円であることは当事者間に争いなく、当時施行されていた相続税法によれば、これに対する贈与税額が金三、九三一、三八〇円となることは計算上明らかであるから、本件課税処分は適法である。
四、よつて原告の請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 胡田勲 裁判官 岡田勝一郎 裁判官 高篠包)
目録
(一) 広島市白島九軒町一六四番地の一
宅地 四四・四九坪
(二) 右同所
宅地一一七・四四坪
以上価額合計五、八六九、〇七一円
(三) 右同所
木造瓦葺二階建旅館
一階 六九・九八坪
二階 五〇・三〇坪
付属
木造瓦葺平家建旅館
一八・七五坪
木造瓦葺平家建炊事場
五・一四坪
価額金二、八三二、三〇〇円
以上価額総合計金八、七〇二、三七一円